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浄土真宗本願寺派
西岸寺
西岸寺について
西岸寺の歴史
薩摩藩による念仏禁制の時代、種子島は法華宗一色であったといわれています。しかし、明治9年9月、鹿児島県によって布教の禁が解かれると、その翌年には種子島布教も開始されました。以降、島内でも甑島移住住民を背景に門徒を増やしていったといわれています。
西岸寺は信徒の尽力により、明治10年に西町に説教所を設立。
富山県の信教寺より野崎流天師を招いて開教したのが始まりとされています。
その後、明治35年に村岡映智師が甑島から来島し、寺号を初めて西岸寺と公称し、住職となり、本堂ならびに庫裏を建設しました。
明治末年には、滋賀県彦根市から来島した村岡師の女婿野田竜華師が住職となり、島内各所に布教所を設け本願寺派の布教に努めた。
昭和43年には村岡師が建てた寺を改造し、本堂及び庫裏を新築。
現在に至ります。現在は野田久教が西岸寺の4代目住職を務めております。
歴代住職
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